自分はそんなに情報収集に熱心な方ではないとはいえ、流れていく技術情報の中で関係しそうなものは目を通すし、昔から好きな組織・エンジニアのブログ・チェックくらいは継続しています。
古のエンジニアは時間経過や転職を機にパッタリ途絶えたりして減っていくも、稀に若手や新人ぽい人のアウトプットが目につくと、時代事情も相まってとても応援する気になるし、こちらも負けじと頑張る気になるってモンです。
混沌から王道へ
今の時代に、駆け出しや初級者としてアウトプットを始めるのって難しいんじゃないかと思うことがあります。昔はハードからソフトまで貧弱だったり、色んなOSSや選択肢があって、これぞ正攻法という解がなかった混沌だったからこそ、多角的な切り口のアウトプットをしやすかったように思います。
今はクラウドの出現や、ソフト・ミドルウェアの成熟により、ある程度の正攻法が見えやすくなった上に、細かい知識や調整が不要になっていく傾向にあります。そういうスピード&パワーによる王道色が強くなるほどに、アウトプットに特徴とか面白みという味を出しづらいのはないでしょうか。
知の高速道路の是非
私の通った時代を振り返ると、書籍や雑誌の情報を重視していた序盤を過ぎ、アルファギークやブログのような単語が出現したあたりから、いわゆる知の高速道路が手際よく敷かれていくように感じました。後から学ぶ者にとって良好な環境、そしてアウトプット方法や機会も増えて活動しやすくなった一方で、序~中盤の成長においては既に高速道路が存在することがアウトプットにとって弊害、とまでは言わなくとも少なからず障壁となりうる可能性を考えます。
ここでのアウトプットは公の場に出すこととすると、基本的にその内容はまだ存在しない情報や知見、もしくは何かを元にした別角度からの発見、などをネタにしたい、するべきという考え方があると思います。
過去数年、分野によっては十数年以上蓄積された公のアウトプットは分厚いもので、多くはインプットして実装や適用して終わり。のモノが多く、そこからさらに何かを捻り出したり、まっさらな技術で勝負する、といった行動は若手に限らず誰しもが難しいもので、
高速道路の終端に到達してからその先をアウトプットしようとする姿勢では、結局いつまで経っても始めないのと変わりません。高速道路の進行とアウトプットを並列し、進み続けた先や途上の閃きでたまにオリジナリティが強いネタを出せれば十分で、まずは始めて継続すること、そのものが目的であってもよいくらいです。
SNSの効果と弊害
存在の拡散にはSNSは無類の強さを発揮しますが、既存の知見ならば、そのアウトプットには反応が集まりづらいし、挑戦的に手を伸ばした知識範囲で少し間違えると魑魅魍魎が集まり、マサカリと称した正義の斧を投げるだけ投げて霧散する、といったメンタルに対する強弱の波もセットでついてきます。そういった外部の反応について気にする姿勢でいると、なかなか始めの一歩、そして継続へと繋がらないので、今の時代は逆に周りの反応は一切気にしない姿勢、SNSはあくまで拡散のための手段とすることが重要になってくるのかな、と思います。
昔はインプットは自身の意思で収集しにいくからこそ、取捨選択も反応も自身の意思で行っていました。しかし近年のSNS主体のインプットは、他者やシステムから提示される形で行われることが多く、悪い言い方をすれば情報を押し付けられていると言えます。
アウトプット側は自身の場で自身が思うことを出しているだけなのに、押し付けられたと感じている一部のインプット側は、意に沿わない内容だと文句を垂れる、という奇っ怪な行動を起こすというわけです。方向性が明確な私のブログですら、『インフラエンジニア』と書くと『IT』を付けろの類の反応されるのが良い例です:-)
リアル世界なら、奇っ怪な人間とは距離をとればいいだけですが、インターネットではそこだけを切り離して活動することは難しく、魑魅魍魎の存在を前提として構造や精神を組み立てる必要があります。続きは課金、やサロン形式などがそれにあたり、しかしエンジニアとしての活動はそっち方面と相性が良いとは思えません。
ただ少なくとも、アウトプットする側に回れば、接客業を経験するとクレーマーになりづらいのと同様、集団に紛れて他者をなぶるような人間性とは無縁になることでしょう。どんな情報も、反射的反応をするのではなく、冷静に解釈と分析をするのが肝要であることが「言葉」でなく「心」で理解できるはずです。
基本的にはインターネットの反応には無関心ベースで、アクセス数・いいね・ブクマ数を基準にする程度、コメントは流し読みする程度、が程よい加減です。記事の公開ボタンを押す時も、「どれくらい反応あるかなドキドキ」ではなく、「書いて公開したオレ偉い!」くらいの感じで意識はサクッと次の事に進めるのが健全です。
ネタの捻出
たまに『◯◯を試してみた』とか『初めて◯◯を構築した記録』といった類の記事を見かけますが、まさにこういう取り組みが重要で、自分がやっていることをイチから記録し、精度の向上を続けることに意味があります。そのように序盤はなぞる形で問題なくも、徐々にレベルが上って中盤以降は自身の経験に基づくアウトプットになっていきます。私の場合は技術的なものは100%仕事に関連、そうでないポエム系はただの趣味とか気分転換で考えた落書きからそれっぽく清書して、ブログという形で継続していますが、ネタの確保はそう簡単なことではありません。
私の仕事で行った情報収集・作業手順・データ・考察などは、よほどゴミではない限り全て社内に記録を残しています。そしてあるタスクを持った時や、一定の大きさの作業をする時に、これは外部アウトプットが可能かな?と考えつつ進行します。
小さな調査の区切りや、大きなタスクの区切りで、これはそのまま記録をブログに移して出せるのか、改変したりシリーズ化して出せるのか、を判断し、とりあえずブログで書きなぐってみて、完成させたりボツったり様々です。
例えば負荷試験をしました、って時に、負荷試験全体を一気にアウトプットするのは無理があります。ココでもシリーズ化して書きましたが、それでも全ては書けていないどころか、せいぜい半分ってところです。
でも負荷試験中に、あるメトリクスについて深掘りしたとして、それについて新たな知見を得たとしたら、実にちょうどよい大きさのアウトプットになるでしょう。そしてそのネタが、検索しても見当たらなかったり、英語圏の掲示板で少し話されている程度ならば、日本語で整理整頓しつつ、自分なりの解釈や手順を加えれば立派なアウトプットの出来上がりです。
基本的には小さめにコツコツ続けるのが長続きのコツで、力量が上がれば中・大規模な活動もできるようになっていきます。縁があれば、商業誌の数ページや連載、共著・単著。登壇発表なら、ライトな5分から1時間まで。記事の有料化で質を推し量るというのも面白いかも知れません。
それでも、最も大切なのは『習慣化』することですじゃ!(ウシャーッ)週毎や月毎にアウトプットするという事は、できて当然と思う精神力なんですぞッ!
機密情報と信用
仕事のアウトプットで困りがちなのは、内部情報であるがゆえに外部に出しづらい、判断しなくてはいけない、ということです。未公開情報に関わる場合、その技術選定から連想できるかもしれないとか、良いコードや設計でも社内特有の情報や構成を含んでいる場合も多々あります。
個人的なアウトプットの環境で外部に出すために、時に他者込みで適切か精査したり、コードを書き換えてまで出す、というのは非常に億劫なものです。
自身が億劫であると感じることは、上長以上など他者からすれば無駄なコストやリスクと捉えられてもおかしくはありません。本当にそのアウトプットは必要なの?意味はあるの?と。
個人としてだけではなく、組織としてのアウトプットだとしても、組織の偉い人がよく思わなければ、それだけで継続できなくなることもありますが、ネタ元である組織の一員として取り組む以上は、個人のヤル気だけでは済まないことも多いってのは認識しておいた方がよいです。
アウトプットする側としては、あまり干渉されないための信用が必要だし、所属組織からの理解が必要であり、特にアウトプットの文化醸成が未熟な中では初手に苦労することでしょう(私が執筆活動した時 → エンジニアが初めて書籍を執筆するにあたって > 会社との調整 | 外道父の匠)
でも、そういう初手にこそ大きな価値があり、そこから継続できたエンジニアには、ただの技術力だけではない総合力を備えた強強エンジニアだかなんだかになれる可能性を大いに含むので、
黒歴史だの炎上だの気にせずアウトプットし続け、しかし致命傷だけは避けながら、若手には頑張って欲しいと思う次第であります。
おわりに
公開アウトプットはなかなかの大海で、最初は目的地も不明なまま漕ぎ出し、ぐんぐん進んだり停滞したり、世間という荒波に揉まれたりするかもしれません。しかし、いつかは目的や目標が定まったり、継続したことの効果を体感できるときが来るはずです。いわゆる『技術力』の向上は大事ですが、アウトプットを通すことで逆に技術力に凝り固まらない方が、総合的にバランスよく仕事を進行できる真の使える技術力になる、と長いこと続けてそんな気がしています。
そもそも大半の人間ができない継続的アウトプットをできた時点で、他者より相対的に優位になるのは確実で、しかしそんな相対的位置などどうでもよくなるくらいに、自分がただ良いと思うアウトプットをやり続けていれば良い、と考える人材が増えれば業界が楽しくなるだろうな思う次第です:-)