親の責務とニート錬成

それなりに長く家庭の維持と育児をしてきたけど、ある時に危険な感情が湧いたことがあります。

それはニート錬成体感で、一瞬で消え去ったとはいえ、もしかしたら誰もが少し油断するとハマるのかもしれない。と思って振り返り。



家庭の運営

子どもを含む家庭を持つようになると、まずはその目の前の環境・状況に対して、必要な対応を行うことに必死になります。

赤ちゃんの面倒を見ることから始まり、予算や住戸管理、教育や自身の仕事など。優先度が高い順にキッチリ進行することが何より大事なので、自分の趣味や交流関係などはいったん吹き飛びますが、そんなことは些細なわけです。

収入を確保し、家庭を安定させ、子どもを健全に育てる。っていうのは人として親として当然のようにこなすべきタスクではあるけども、全人類ができるかというと、そうではない、くらいの難易度があります。

序盤から中盤は、育児が大変なこともあって慌ただしいのですが、中盤以降は子どもが安定することで、意外と残タスクが子どもの独り立ちくらいになるので、そこまでが鬼門って感じな気がします。


親の責務

そこから親として子どもをどうできれば最低限の責務をこなせたと言えるのか、と考えると、私は2つにまとめることができます。

 1.健全・健康に育てること
 2.自立させること

1番を満たすには食事や教育が大きな要素ですが、それはあくまで手段であり目的ではないので、巷で話題になるような、こー育てなきゃダメとか学歴が大事とかの質についてはわりとどーでもよく、それは親が可能なことをできる限りの範囲でやってあげられれば、なんでもいいと思っています。

2番は1番より難しいと思っていて、1番は今現在を注力すればただそれが正着ですが、2番は未来の話で不確実なためです。

これを満たすための行動は人それぞれでしょうが、これについて私が子に伝えていることは2つです。

 A.18歳から独り暮らしをすること(ただし高校に通う場合は卒業したら)
 B.自力で稼いで生活できれば何を職業としてもよい(ただし犯罪は除く)

前に 育児過渡期から次世代へのバトンタッチ でも書きましたが、被扶養者 → 同居続行 → 家庭持ち というステップになると家庭運営に必要な能力が足りないだろうとか、そもそも独り暮らしが色々楽しすぎるってのもあって、その選択が当然のように伝えています。

もちろん、自力で収入を得るまでは費用のみ援助をします。これは私自身が親からそうしてもらったので、子にもそうしてあげようと強く考えています。親から受けた恩は、親ではなく子に返す、というのは生物の1つの見方として健全であり、私も子から何も返してもらう気はありません。(※これは親をないがしろにするという意味ではなく、あくまで優先順位と基本的な考え方の話)

より幸福な自立をできる可能性を高めるためには、教育費用をかけたり、親として様々な話題や選択肢を提供したりしていますが、目的さえ満たせば大学どころか高校も行かなくても良いとしています。逆に明確に希望する手段があれば、可能な限り支援することも伝えています。

それ以上は子の決断と運の話になるので、上手く事が進むことを祈るのみです。


親の安定

話はいったん飛んで、私が住居を購入した件をサラリと。

世間にはよく賃貸vs所有 や 一戸建てvsマンション など話題が上がりますが、ぶっちゃけ予算内で住みたいと思える物件ならば、それ以外は些細なことだと思います。強いていうならば、あまりギリギリの予算感や条件でキリキリするのはよくないってことくらいです。さらなる幸福を目指して逆にストレス溜まる状態にしては本末転倒ですしね。

私はかれこれ人生で7~8回引っ越して、実家以外は全部賃貸でしたが、オッと思える物件を見て、家電を購入する際の数十倍は調べまくって、納得した上で現地即決した形になります。

これにより、ほぼ私の終の棲家が確定したわけで、あとは死ぬまでの生活費用と死に際だけが必須タスクとして残りました。


収入の世間話

話はさらに飛んで、ウチの子は政治経済に関心が強いので、よく職種や労働・収入について世間話をすることがあります。一緒に歩いていると、店の横に「アルバイト募集」があったりして、時給1200円だから~何時間を何日働くと~って考えだします。

私が高校生の頃は田舎で 630~650円 でバイトしていたので、1200円とかセレブです。被扶養者は衣食住の費用がないに等しいので、都会の高校生の方が相対的に優雅に過ごせるんじゃないか、と思ったり。

また、時給1200円 × 8時間 × 20日 として、約20万円/月 なので、最低限の労働力と気力があれば、年収は最低でも 240万円 は保証されてるようなモンだよねって話もします。そこから発展して、年収の中央値や、1000万、2000万稼ぐとしたら職業の例は。総理大臣の給料はいくらか、など会話が続きます。

私が小さい頃は、親の性格か時代なのか、お金の疑問にあまり正面切って答えてくれなかったので、そこだけはちと不満でした。なので、自分の子にはガッツリ話してますが、多分正解というかそれが当たり前であるべき感触があります。


ニート錬成

そんなこんなで、親の責務をキッチリ果たそうと常日頃考え、自身の住居が安定し、今の時代の最低収入など考えたことで、あるひとつの事実が脳裏をよぎりました。

『もしかしなくても、俺の子はフリーターとして生きていけてしまう?』

住居は購入費用が落ち着いてしまえば、そこそこの維持費だけで済んでしまうわけで、その費用はフリーターとしての収入、下手したら親の年金だけで賄えてしまうわけです。って気づいた瞬間、

(ワイ脳内)
→ 住居費が維持費だけ
 → フリーターや年金でも維持
  → まさかニートでも維持できてしまう
   → 自立させる労力が不要になるってこと?
    → ニート爆誕の危機!!!!!!!!!!!

という感想が2秒くらいよぎって消えました。

子どもはオモチャでもペットでもないので、絶対そうはしないと考えていたはずなのに、これがよぎった理由はなんとなくわかります。

単純に、子のニート化は親にとって『楽(ラク)』なんですね、多分。世の中にはニートとその親が多くいますが、なぜ親子ともにニートを許容してしまうのか、以前は不思議でなりませんでした。

でもニート化を許容してしまえば、一直線に自立させるための援助は不要になるし、子が躓いた時に立て直す協力も必要ない。ただ、少々の金で食事を与えるだけという、元々想定する親の責務に必要な労力や心労と比べれば、屁みたいなモノになります。

だから、それを理解した私の脳も、一瞬だけとはいえ逃げの思考がよぎったのだと思います。人間誰しも、ラクしたいですからね。怖い怖い。



昔はなんでも厳しくやり切らせる方向性で、現在は嫌ならやらなくていい、みたいな風潮がありますが、どっちかに振り切ることってどっちも間違ってるんですよね。

やるべきことはやり切る、やらなくていいことはやらない、の判断と、最低限の責務を果たす・努力はする、ってバランスと線引きが重要なわけで。その上でより上を目指せればエライ!くらいの感じがいい気がします。

子を育てると自身を振り返るべきときもあって、優しすぎず怖すぎず、かまいすぎず放置しすぎず、それが成長とともにバランス感も変わっていくので、なかなかに難易度の高いゲームだなと思うわけです:-)