先日のポエム記事 エンジニアの職人芸を継承すべし の派生、職人芸を身につけるには。
完全に深夜のポエム。思いつきで夜中に書いて、そのまま夜中に公開することでしか生まれないスルー推奨ポエム!
ヒトの脳は凄い
私は3歳からゲームをやっていて、色んなジャンルをプレイしてきた中でも、高速に操作したり考える必要のあるゲームが好きなんです。格ゲー・パズルゲー・シューティングなどなど。今回の話でいえば、わかりやすいのがパズルゲームなんですけど、自分はそこそこ遊んだ程度でも、トッププレイヤーの神業的プレイを見たら、スゲーって思うし、何考えてやってんだろ、どうやってこんなプレイできるようになったんだろ。って思うじゃないですか。テトリスとかぷよぷよとか。
で、私も某パズルゲーが好きで、スコア的にトップクラスあるなってくらいになった時に、ふと自分のプレイについて思いを馳せたり、記録動画を見て思うわけです。これ、どうやって操作判断してんだろう、と。
どんなゲームや競技でも、まずルールがあるわけです。そのルールに対して効率的にプレイするための、さらなる知識があります。練習して経験が蓄積して、それでもプレイ中は様々な状況が目まぐるしく移り変わるわけで。
大量の知識と、膨大な経験と、無数の状況から、ほぼ瞬間的に判断を下して、かつ操作・行動に反映してる。ぶっちゃけ、自分の操作も、何をどう考えてプレイを高速に進行しているか、よくわかってないけど上手にできている。
これはもう、アレだ
「スゴいね人体♡」
ならぬ
「スゴいね人脳♡」
だ。
人脳ってなんやねん、ってググってみたら単語はなかったけど『「努力できる人」は脳が違う | WIRED.jp』なる記事が出てきた。
まぁ極論的に言えば、そういうことなんでしょう。
エンジニアにも職人芸がある
前の職人芸ポエム、多くの人に見てもらえたおかげで、色んな意見を読めました。中には職人芸の存在を否定する意見もあり、筋道立てて説明できない時点で駄目とか、ツールに落とし込むべき部分だとか、目に見える形式にすべきだとか、それはそれでごもっともだと思ったんです。
でもそれって、結果論の部分しか言ってないとも感じるんですね。例えば、サービスの企画やシステムの設計、新しい高難易度な機能の実現や、解明困難な現象の解決、といった取り組みにおいて、『閃き』『なんとなく』『偶発的に』状況が進捗した!という現象は確実にある、と言えると思うんです。世紀の発明とか、多分そんなんがいっぱいでしょう?
それって、ある目的や状況に対して、大量の知識と、膨大な経験が混ざり合って、脳からひねり出された判断であることは間違いなくて、それは大なり小なり『職人芸』だと思うんですね。
後で紐解けば、筋道立てて、理論的に、なぜそう判断したかを説明できるかもしれないけど、まさにその瞬間的には、やっぱり『職人芸』なんです。
エンジニアの判断だろうと、画面いっぱいに連鎖するぷよぷよだろうと、イチローの芸術的なバッティングだろうと、
脳から瞬間的に、または一般人より圧倒的な早さで、”なんとなく” 正しい判断や行動へ移す。ことができるかどうか、があらゆる分野におけるプロフェッショナルとアマチュアの明確な差だと言っていいのではないでしょうか。
職人芸は理解してもらえない
なぜそんなに早く判断できるのか、なぜそのように判断できたのか。そう問われても、職人は ”なんとなく” と答えたくとも、グッと飲み込んで、普通の人用にそれらしいことを述べるか、そもそも説明しないでしょう。
それは、その”なんとなく”を直感的に説明したとしても、その人にとってその説明は、ほぼ意味をなさないことを理解しているからです。大量の知識と、膨大な経験を元にした説明をしても、多少の役に立つことはあっても、大半を理解してもらえたり、共感されて、より話に花が咲くことはないのです。
逆に言うと、そこまで本気で引き上げるとしたら、まず話のレベルを理解できるところまで落として、大量の知識と、膨大な経験を積ませるプロセスに乗せる必要があるわけです。
はたして、自身が通ってきたプロセスと同等の道を歩む時間と、覚悟と、適性はあるのか?と考えると、他人の道にそんな責任は持てないので、職人を育てる、ということは超高難度~無理の間に位置することになります。
職人芸を身につけると収入を上げるチャンスをモノにしやすいですが、収入を上げるには職人芸を身につけたらイィよ、と言えるものではないのです。
努力や興味や執念で、脳や肉体を酷使し続けて、適性もあれば、いつか覚醒する。かもしれない。そんなモノは他人に勧められません。プロフェショナルは皆、長い年月と労力をかけて自力で覚醒してきたがゆえに。
身内は別
本当にほぼ自力で職人になった人もいれば、周囲や環境に助けられて職人になるパターンもあるでしょう。もし職人を育て上げるとしたら、遠慮や配慮といったものは害悪でしかありません。良いことは良い、ダメなものはダメと言えなくてはいけないし、必要な知識や経験をねじ込むための勉強や行動を強要することにもなるでしょう。そしてその強要も強要ではなく能動的になるための工夫も必要です。
なので、私としては、そういったことを他人に強要したことはありません。なんとなく、そういうプロセスを用意したり、高速道路への道案内をひっそりするくらいで、そこから気づいて乗るかどうかは、本人次第です。
例外は唯一、息子です。
そもそも、こういう現実にあるけど、非科学的で不確実な話は、他人にはしません(ここはチラ裏ポエムなので、ストレス発散で書いてるだけです。ストレス無いけど)。
脳を酷使したら意識的にブーストしやすくなるよ、アナタの時代風に言えば、ゾーンに入るってやつかね。とか、肉体も鍛え上げれば、壁を走ったり、なんでも当てられるような超人的な感覚が湧くよ、とか。今はわからなくて当然だけど、そうなると人生楽しくなるぜ。って食卓で話したりします。
そもそもそこに到達しなそうな人間には絶対言わないけど、期待する人間に対しては、修練を与えるだけでなく、感覚的な話や、自身の分岐点といった話もして、少しでも役に立てばと思うわけです。
なので、他人ならばよほど期待できそうな人材であり、かつ信用・信頼も多少はないと、叩き引き上げる気持ちにはならないでしょう。
他人でも、同じジャンルの同じ職人同士と認めた間柄ならば、お互いを高め合うことができるので、そういう会話はサックサクするのですが── 能力の差だけでなく関係性や相性も関わってくるので、そのライン引きも場合によりけりですね。
まぁこういう話題は、するメリットが本当になくてですね。どう転んでも偉そうになるし。
だから現実でもすぐに、大人しく、謙虚に、ひっそりと職人芸を磨き続けて、収入や地位や名誉に反映していくのがベストって悟るんですよ。んで、各ジャンルの上位層は皆、人当たりが良くなるんですよ、自然に。
でもね、ここはチラ裏なんでね。書いてみたけど、ぶっちゃけ職人芸なんてあってもなくても、人生が楽しければいいんですよ。あったら、その分だけ楽しくなりやすい。ただそれだけなんです。きっと。
そして、楽しいの先の先に、職人芸がある。そういうことなんです。きっと:-)