子どもの取り組みにおける『空手』の良さ

子どもの『育児』は基本、小学生までということで、中学生からは多少は教育しつつも自立を促すことが中心になります。

ということで、育児期間に特に取り組んだことの1つである『空手』について、所感を綴っておこうと思います。



空手は武道である

子どもの習い事には、頭を使うものから身体を動かすものまで色々ありますが、その中でも武術系は『習い事』と表現せずに『武道』として取り組むことが多いです。決められた時間に参加して、先生に習う、というのは同じなはずなのに、と変に感じる人もいるかもしれません。

一般的な習い事の『競う』『発表する』などと一線を画す特徴として、『闘う』という非日常な行動を伴い、特に空手の基本は『個人戦』であることから、先を進み続ければつまるところ個々の『道』が死ぬまで続く。といった姿勢が、そう表現させるのではないでしょうか。

どんな取り組みも、やらされている感が強いうちは伸びづらく、適性があったりなにかの拍子に楽しくなると一気に伸びるものですが、空手は特にその差が強いように思います。習い事と捉える親子は辞めやすく、生活の一部として受け入れている子は黒帯まで継続できることでしょう。

そうはいっても、そこまでお堅い活動ではなく、かといって刃牙の世界のようなファンタジーでもないのですが、入ってみないとワカラン部分が多いのも確かなので、取り組んで良かったことを思い起こしてみるわけです。


個人戦である

スポーツはそのルールや特性上、チームとして取り組んだり、団体戦として試合をするものが多いです。別にチーム戦にしなくても成り立つものまで、チーム戦が存在するのは、やはりその方が盛り上がるからでしょうか。空手にも一応、『型』に団体戦がありますがメインは個人戦の組手、次に型となります。

普段の練習は仲間たちと取り組むし、大会の遠征では一緒に宿泊したりなど楽しく過ごしますが、詰まるところの日頃の成果を発揮するための大会においては、それまでの日々の過ごし方から対戦中までを個人が全てを背負うことになります。

一般的な──例えば球技だと、役割の割当から始まり、スターティングメンバーの選出、団体責任などが必ず付きまといます。また、同世代に良質な人材が、最低限スタメンの人数分が集まるかどうかで、戦果に天地ほどの差が出てしまいます。

そういった本人の努力ではどうにもならない部分が多々あるスポーツと異なり、かなり個の努力でどうにかなる割合が高い、というところが魅力です。もちろん、所属する道場においては指導者を筆頭に、練習相手の質や人数も重要になってくるのですが、あらゆる取り組みにおいて最も重要な『本人のやる気』が結果に結びつきやすい競技であることは間違いありません。

大会参加も、よほどの上級用を除いて、基本的には本人の意思で出場することが可能であり、ベンチという概念がないのも取り組むに値する要素の1つだと思います。


幼少期から大会がある

どのような取り組みをするにせよ、なにかしらの成果・結果を残せるというのは、成功体験や自己肯定感という面で非常に重要です。発表会に出る、賞状やトロフィーを得るといったことですね。

空手の大会は幼年部は年中から参加可能なものがあり、小さい子ほどなにか1つでも得意技があれば勝ちやすく、少し真面目に取り組むだけでもそれなりの確率で入賞することができます。特に幼年部は人数次第で8位、下手したら16位まで入賞とされる場合もあり、できるだけ形として持って帰らせたいという運営部の考えが見て取れます。

空手には色んな流派とルールがあるので一概には言えないですが、基本的には上段を蹴れれば勝てる、みたいな時期があります。特に直線的に出てくる前蹴り横蹴りは、小学生低学年以下にはガードしづらく、1度技有りを取られたら、ほぼ取り返すことが厳しくなるからです。

親子でルールを把握し、勝つためのルールの理解をし、勝つための練習をする。その上で、トロフィーの1つでも持って帰れて、家に飾ることができれば、その後の人生の活力が漲ること間違いなしです。


イジメの起点にならない

普段から人間を拳で叩いて脚で蹴って、とやっていれば当然、攻撃したら相手がどうなるか、被弾したら自分がどうなるかを理解することになります。そして道場では自分より強いやつ、自分より上手な特技を持つやつがいるし、大会では力を出し切った上で敗北することなど当たり前のようにあります。

そういう経験があると、自分から暴力的な行いをする無意味さやリスクを理解するため、イジメをするような人間になりづらく、むしろ学校では逆に大人しくする傾向が強くなったりします。

また、しょうもないイジメやチョッカイを出してくる人間と対峙しても、自分より弱いことを感じ取れるので無意味に応じないし、それでもしつこく手を出してきたら跳ね返すことが容易いため、被害者になることもなくなります。

普段の教えとしても、自分から手を出すな、やられたら負けるな、が基本であり、ほとんどの子には何も起きないのですが、ウチの子は背が低いこともあり被害を受けそうになったことがあります。本人曰く、しつこい嫌がらせが3回目来た時に(詳細は割愛しますが)手加減して撃退したらしいです。一応、先生や相手の親が出張ってきたら対応してやるから大丈夫だと伝えましたが、その件は特に何もありませんでした。

小さい頃はどうしても少しはヤンチャというかバカな子が周囲にいるので、そういう部分で人生の足を引っ張られないよう、一定以上は肉体的に強くある、ということには大きな意味を持ちます。


好きな時に始められる

空手は3歳から始めることができ、50歳を超えてから始める人もいます。

打撃なので怪我の心配をするかもしれませんが、空手の活動自体で怪我をすることは実はなかなかありません。たまに大きめの怪我した子が休んでいても、たいてい活動時間外にフザケていてぶつかったとか、ウンテイから落ちたとか、別の要因がほとんどです。

せいぜい手足の皮が剥けるくらいで、なんなら野球やサッカーなど普通の球技の方がそれ自体で怪我をすることが多かったり、寸止め空手の方が止めれなくて当たったりで怪我をするそうです。ウチは実際に技を当てる極真系ですが、少なくとも小学生以下でそういう心配をするには至りませんでした(大人になると倒す威力が出るので喰らうとダメージは残る)。

中学受験の時期がきた時はちょうどコロナと重なり、一時的に大会への参加を止めましたが、こういう部分でも好きな時に止めて、好きな時に再開できるのが良いです。基本が個人戦であるため、止める理由も始める理由も特に求められず、己の参加意思だけが重要ということです。普段の道場通いと真面目な練習姿勢があれば、再開することに苦労することもありません。

大人になると転勤や留学などで、一時的に空手を止めたり、道場を移ることもありますが、日本にいる限りはたいてい通える範囲に道場がありますし、なんなら道場がなくとも家で自主練できるので、機がくればいつでも再開でき、こういうところが『武道』という表現にとてもマッチします。


空手を始めるには

空手の世界って、何も知らない状態だとわりと意味不明な世界な感じがありますので、まずは道場見学をするところから始めることになります。

都市部なら、近所に通える範囲で複数見つかるかもしれません。幼年部なら親が連れて行きますが、小学生1年生以降ならば一人で通えるようになってくるので、近さもそれなりに重要な要素です。

流派が色々あって悩むかもしれませんが、大きくは2つに分かれ、1つは主に極真系の攻撃を当てるフルコンタクト、もう1つは寸止めの伝統派空手です。さらに細かくは、胴防具の有無や、関節技まで取り入れるようなマーシャルアーツといった種別もあります。

ウチは極真系なのですが、その中でも道場によっては基本・移動・型・組手と総合的に取り組むところもあれば、組手に重きをおいて取り組むところもあります。これは道場長の方針によるものなので、実際に見学してみないとわからない部分です。

背が低い子、線が細い子、気弱な子、は組手が苦手だったりするので、無理強いすることになると良くないため見極めは大事ですが、それでもたいていの子は継続さえできれば環境に適応して逞しくなるので、親が支えてあげて頑張るってのもよく見る光景です。

それでもどうしても組手が怖いってのは特に女子にありがちなので、そういう場合は型に真剣に取り組んで、型の大会で入賞してたら、いつの間にか組手も普通にやるようになった、というパターンもよくあるので、それが可能な道場かどうかってのも子の活動に影響してくるところです。

あとは地域によっては、真面目な子が多かったり、荒くれ者が多かったり、と異なってくるので、まずは見学してみつつも、基本的には辛抱強く継続して通わせるってのが大事です。続けさえすれば、いつかは黒帯にはなれますし、肉体と精神・礼節の強化は折り紙付きです。



私自身の場合は少年野球をやっていて、父親が言うにはその頃に応援したり試合後のBBQを用意するのが、一番楽しい時期だったと聞きました。子ども目線ではそんなことを全く感じていませんでしたが、今なら自分の子どもがサヨナラヒット打ったりデッドボール食らったり、惨敗した時に遠征先からホームグラウンドまで走らされたり、してたらそりゃ感情が動きまくるわなって思うわけで。

それが自分の番になり、我が子が大会で優勝したり、組手で肝臓にモロ膝喰らって一本取られてるの見たら、そりゃもう感情が大変ですよと。

でも一緒に走り込んだり、ミットを持ってあげたりと、自分独りではありえなかった楽しみも多く経験し、心配よりも喜びの方が圧倒的に勝っているなと、感じられるのがありがたいことです:-)