前回の記事でイィ感じの燃え方してイラつきはしたけど、ちゃんと調べず適当に公開したのはマズかったし、どっちみちそれまで理解が浅かったのは事実で認識してたので、それはもういいんです。
それよりもなんで、昨今はこんなにクソコメが蔓延るようになったんやろって考えてみたくなりました。エンジニアに限らず、ジャンル問わず社会的な話でもあるのですが。
社会的な風潮
要は『叩く』という行為が流行を通り越して当然になってる風潮ですね。エンジニア関連でも、昔から技術系掲示板では、そんなことも知らんのかい!とツンツンしながらも教えてあげる文化みたいなものはありましたが、そういう『限定的な場』に自分から踏み入れない限りは、エンジニア同士の交流の多くは所属や個人サイトが判明している人だったりして、誤りや改善点があれば、スマートに指摘して、素直に受け入れる、ような流れが多かったように思います。
SNSが流行りだしてからは、有名所や母数の大きいネタ記事が、バズりやすい場に出現した時、こぞって『公の場』に集合し、集団に紛れてアレヤコレヤと好き勝手言いたい放題するみっともない風潮が定着してしまいました。
自分ごとに限らず、前にデジタル庁のサイトで細かく突っ込まれてたけど、まず大事なのは大枠の取り組みでしょって思う。知らないこと、できていないことに対する、過剰な反応はここ数年で酷く気持ち悪くて、全体の底上げやスピード感をナチュラルに毀損している気がする
— 外道父 | Noko (@GedowFather) April 3, 2022
私自身は他所様を叩くという行為をしないので、どうしてそうなってしまうのか、ってのは正直理解できませんが、
- ストレスが溜まりやすい社会になったから?
- 人生に不平不満がある状態?
- インターネットとサービスの普及により人数が増えたから?
- ITリテラシーが高まりすぎてレベルが底上げされたから?
- 自分の存在価値を表現する場を求めて?
特にエンジニアという人種は、無駄が嫌いで効率が好きなはずで、他所を罵倒するだけの価値のない表現は見ていると悲しくなるからです。社会的には例えしょうがなくとも、エンジニアだけでもそういうの止めて、寛容で建設的に過ごしませんか?って思います。
アウトプットの弊害
私はエンジニアのアウトプット推進派で(参考:エンジニアがアウトプットすべき理由)、やらない理由に書くネタがないというものを多く見かけますが、潜在的には炎上リスクを嫌っているのではないかと思います。アウトプットする側が、強メンタルとスルー力を持つべきってのも違う気がするんだよな。上に引き上げてくれる反応はありがたくも、下から引っ張ってくる量と力も大きいゆえに、無駄なパワーの消費が多く、無駄を嫌う職種がゆえにアウトプットから遠ざかるってのは悲しい自然な流れなのか
— 外道父 | Noko (@GedowFather) April 3, 2022
どんなアウトプットも、それなりのエネルギーを注ぎ込んでいるはずで、十分なメリットもあるのですが、それに反して炎上したときの消費エネルギーは正直膨大で、ただのクソコメとわかっていてもダメージを喰らうんですよ。
批判されたというよりは、なんか気持ち悪い絡みされた、という感触のほうが強い感じです。それなりにイラつくし、人によっては怖いと感じるかもしれません。多くのエンジニアにアウトプットしてほしいと思っているので、繰り返しになりますがこれは無駄で弊害でしかありません。
叩く側からすればアウトプット側はサンドバッグに見えているのでしょうが、アウトプット側からみると、どこの馬の骨ともしれないネット弁慶でしかなく。
なので、皆がアウトプットすればいいと思うんですよ。そうすれば、自己表現の場が得られるし、大変さを認識すれば叩こうなんて意識は消し飛んで、どうしてそういう状態なのか、どうすればいいのか、と寛容かつ建設的に考えて発言するようになり、皆ハッピーになります。反吐が出そうなくらいの理想論ですけどね。
プロという概念
少し話の視点を変えて、世の中には『プロ』という概念、仕組みがあります。野球や将棋、最近ではゲーマーなどがそうです。その道の技術的な専門家、高い技術を要する人物であり、その技術で直接的に貢献するだけではなく、その業界・業種を盛り上げるという責務があったりします。何かモノを教えたり、見守る上の立場になった時、罵倒したり自分は知ってるアピールするのって、クソの役にも立たない以下のマイナスな行為であることを理解できます。これは大人に対しても、子どもに対しても同じです。言われた側は、解決方法は不明なまま嫌な気持ちだけが残るし、言った側は、相手に何も貢献できず、おそらく自分のストレスが発散されただけ、という無惨な結果に。
しかしエンジニアにはプロという概念はありません。報酬を得て仕事をする以上、『プロ意識』はあるでしょうが、社会に対する意識は少ないでしょう。だからどれだけ博識でも他人に攻撃的になったり、他人の場を荒らすことに疑問を抱けない人が現れます。
ITの技術は幅が広く、また深いです。どんなフルスタックエンジニアも、不得意分野や手つかずの知識があるわけで、それに立ち向かいつつも未熟な状態に対して揶揄するってのは、下品でしかないです。
まぁ私のようにド素人状態から独学で20年エンジニアをやって、10年以上ブログを続けているようなところは、多少は叩かれてもしゃーないって気持ちもあるし、逆に長くやってりゃそんなこともあるって程度で済ませられるんですよ。
でも、新しいサイトや取り組み、新卒からそう時間も経ってないようなアウトプットに対して、イキリ散らすのはさすがに違うんじゃないかと言いたいです。
より多くの人間が関わっただろう技術ほど炎上しやすいですが、「俺ならできる・知ってる」から「お前はクソだ」のようなムーヴは、真のプロの姿とは真逆にあります。
プロフェッショナルなエンジニアを目指すなら、ピンポイントな技術や知識を重要視しつつも、それ自体で攻撃的にならない・憂さ晴らしをしない、という対外的な言動・態度も含むと考えるので、自戒を込め注意していきたいと思います。それだけの魔力がSNSにはある。
自制心と共栄
ゆーても技術的な話で炎上しても、社会的な悪さをしたわけでもあるまいし、未熟でした精進しましょうで終わる話です。なので気にせずガンガン継続してアウトプットしていきましょうといったところ。ただ問題というか課題もあって、何かが足りないアウトプットに対して、ではそれを放置した方がいいかというと、そういうわけでもなく。要は伝え方・関わり方のバランスの話に落ち着くだけでもあります。
褒めるのは良いし、事実を指摘したり、ソースや改善案を示すのも良い。ただ攻撃的になる必要はないという、それだけの話なんですが、情報に触れていると、突然ピクンと食指が動いたり、承認欲求が活発になる瞬間ってのがあり。おそらく、そこで自制できて冷静に物事を見れるか考えられるか、で態度に大きく違いがでるんじゃないかと思います。
ただ私の経歴上では幸いなことに、内外含めて、そういう危なっかしいエンジニアに関わったことってほぼなくて、むしろ「こやつデキるっ…」って感じる人が多かったので、どこにそんな人物が存在するねんって思いもあります。
イキリコメントするということは普通以上にデキる実力と自信があるはずで、なのにネット弁慶でした!とか、想像しづらい。とはいえネット上には実在するので、1人でも多くその不寛容で非建設的な行為に気づいて──
願わくば、皆がどのような場でも、成長を促したり、共に高め合うような関係性を築いていけたらと、いう感じで延焼戦を締めくくりたいと思います:-)
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他人からさまざまな質のフィードバックが飛んで来たくらいでイライラしてるの仕事でも同じことしてるんですか?とても仕事しづらそうですが
ツイート連投するほど顔真っ赤にしてお気持ち表明してないで3日も放置すれば俺なんてしょうもないことにイライラしてたんだろってなると思いますが
凄い……教科書に載りそうな匿名コメントだ……としか思えませんでした
> 顔真っ赤にして
この煽り文句、随所で見かけるテンプレだけど、
いざ実際使われると、全然響かないですね
こう書くことで、また顔真っ赤って書かれる無限ループ技なのかな
ツイッターで10いいねもいっていない記事に他人から見えないコメントがたくさん飛んできてプチ炎上wとか言ってるのも大概イキりだと思う
いいねやフォロワーの数をベースにモノを言うのは、インターネットに毒されすぎなので控えたほうが良いかと思います
し、他人から見えないコメントは多分ないです
つよつよエンジニアって何?戦闘力が高いの?それって数値化されるものなの?と非戦闘員であるエンジニアも戦闘民族足らんとされる時代です。ヒャッハーしなければ、生きづらい。
戦闘力のタカ関係なく、姿勢や態度を正したほうが、誰にとってもお得だと思います
ヒャッハーしたくなる局面もあるかもだけど、ヒャッハーしてる方が幸せだとしちゃうのは、だいぶ悲しいことではないかと
ん~まとめ考察しようと思ったけど、あんま有用な結果にならなさそう
とりあえず、現行環境がどんなものなのか、多少は可視化できたのと、
イマイチな記事は餌となってマウント勢を呼び寄せる、という効果は判明したかな…
普段は十分に精査して情報を出しているから、あまり燃えずにいるけど、
ちょっと油断したり軽率になったら1ミスで面倒くさくなるってのは
得られる効果に対して、割に合ってないというか、好ましくないのは間違いない
賢い人は普通に考えて炎上地に出現しないが、
有用な記事にはプラスアルファを添えてくれることがある
検索から情報を取りに来る人は取って帰ってくれるし、
そういう人のために書いている側面も強い
定期的に見てくれる人がいるならば、
そういう人のためにも頑張りたい
が、バズりからのお客さんって、
ぶっちゃけ大半が歓迎できるようなものでもなくて、
満足感とか承認欲求が多少は満たされるかなってくらいで、
もう承認欲求とか枯れてしまうと、
ただのノイズでしかなくなるんですよね……
ブコメを閉じる設定にする人の気持ちもわかる
あと昔よりもIT系は技術的に落ち着いてきた感があり、
取り組み方次第で書くネタに困ることはないけど、
あえて精査してリスクとってまで公の場に出すかというと、
もう別にブログっていらないんじゃないかって、ふと感じることはある
もちろん、本件とは関係なく、何年か前からですね
誰かがコメントしてくれたけど、
エンジニアの中でも、炎上性質も含めて、IT系は特殊なんじゃないか
というのは、うなずける部分がある
普通の日常を考えたら、こんなにネット弁慶が出現するのって、
結構異常なんじゃないかな、徐々に慣れちゃっただけで。
今回ははてブコメント主体だから、その感想ですが、
技術系のカテゴリのコメントって、
もっと面白いこと、気の利いたこと、建設的なこと、
が書かれる場だった気がするんですが、
いつからこんなに低俗な印象を受けやすくなったんでしょう
変わらない人もいるけど、それ以外の割合が増えたのか、
コメントつける人が多く入れ替わったのか、
あまりはてな自体は深く使わないので、詳しくはないのですが…
元からTwitterのようにどうでもいいことを書く場だし
って言われればそれまでなのですが、随所で不快感が多くなり、
好きだっただけに残念な気持ちがあります
長く、外部の反応を大切に、楽しみにしてきたけど、
いつの間にか自分にとってさほど重要でもなく、
また、反応自体の品質も変わってしまったとすれば、
アウトプットの在り方・目的を考え直し、
検索からや定期的に見てくれる人を重視するだけでもよく、
告知などせずにひっそり更新を継続する、
ってのが無駄なく届くべき・届けたい層にリーチできるのかと
それでも反応してくれる人はするだろうし、
バズり構造から離れるってのは現在のひとつの正解な気がします
自分は自信がない部分がまだまだたんまりあることを自覚しているので、それゆえに他人を罵倒・揶揄するってのは絶対にしないようにしているのですが、
逆に自信が十分でないがゆえに、少ない自信があるポイントでイキりたくなったり、という場合もあるのかな、と
人間なのでいろんな姿勢があるでしょうが、足を引っ張る方向って絶対的に誰も得しないので、前向き、前向きで取り組みについて考えていきたいですね
こんにちは。「反吐が出そうなくらいの理想論」に、あまりにも共感したので、コメント差し上げたいと思いました。
私はまさに、外道父さんの仰る「心無いコメントが怖くてアウトプットを公表できない」人間です。
ネット社会には、アウトプットそのものではなく、アウトプットした人の人間性を(ときには邪推して)攻撃する人が、本当に多くて、特にそれが怖いです(こんなものを作るなんて、この人は頭がおかしいに違いない、みたいなやつです)。
なんというか、人間の嫌な部分を見せつけられている気がします。
現実社会では、そんなこと言う人をあまり見たことがありません。
本来、ネガティブなフィードバックって勇気のいることなんですよね。「これを言うと、この人に嫌われるかもしれない」、「怒らせちゃうかもしれない」などと考えるから、どうでもいい人にわざわざ喧嘩は売らないし、信頼している人にも言葉を選んで伝えるはずです。フィードバックをする側が、何かしらのコストを支払ってるんですよね。
しかし、いまのネット社会はそういったコストがかからないから、ネガティブな文章を書くのに推敲が必要ないし、配慮もいらない。
匿名にしたりだとか、仕組みとして自分の安全を事前に確保しておけるので、何の気なしに、なんだったら5秒で送れてしまう。その割に、的を射てると称賛される。
なにかを作ることより、作られたものに難癖をつけるほうが簡単にもてはやされるので、コスパが良いんですよね。
なので、この話は、エンジニアに限らないと思っています。イラストレーターでも、小説家でも、何かを生み出そうとしている人全般に当てはまる構造なのでは、と思います。
炎上すると、尋常じゃないネガティブなフィードバックが、許容量を超えてやってきます。対して、炎上させている側は、大したコストも払わずに、乗っかることができます。
このままだと将来誰も、ものを作らなくなるよなっておもうんですよね。
私は日本は相当クリエイティブな国だと信じていますが、ネット社会は、そのクリエイティビティを発揮する機会を増やすのではなく潰していっているのが現状だと思っていて、寂しい気持ちでみています。
一方で、Qiitaなどでよく見る、「車輪の再発明なんてするなよ」っていう話も理解できます。その人にとっては、その情報に触れることは、それこそ「時間の無駄」だからイライラするだろうなというのは想像できると思います。
なので、作られたものを目にすること、体験することで不快な気持ちにされた、攻撃された、ということも現実にたくさん起きていますし、そういった理由で炎上するものもあります(感覚的には、いわゆる「炎上」というのはこちらの意味で使われていることが多い印象です)。
この場合、コメントしている人は傷つけられたわけですから、傷つき方が大きければそれだけ、感情に任せて罵ってくるでしょう。無理もないことだと思います。
アウトプットする側は、当然そうならないよう気をつけるべきですが、どんなに気をつけてもこのような状況になるリスクは排除しきれません。
知らないことには、気づけないからです。
しかもこのパターンで炎上した場合は、加害者になってしまいます。
このことも、回り回ってアウトプットへのブレーキになります。
このように、
・作ったものが意図しない形の批判を受ける
・見たくないものを意図せず見つけてしまう
という、発信側・受信側両方ともに、発表場所のミスマッチが起きていて、ミスマッチが起きないようにするなどの自衛手段がない、ということが根本的な課題なのかなぁと想像しています。
子どもにインターネットを使わせたくない、というのと、似たような課題なんじゃないかなと。
今もすでに始まってきていますが、これからはコミュニティがどんどん分断されていって、自分たちにとって心地よい人とだけ関わっていくという形になっていくのかなと思います。
もちろんそうなることでの副作用はありますし、望ましい形だとは思いませんが、自衛のために自分にあったコミュニティを選んでいくんじゃないかと思います。
実社会に比べて、ネット社会はまだまだ未成熟なんだなと感じます。何かを作る人が、気兼ねなく発表できて、建設的なフィードバックがもらえるような場所がたくさんできるといいですね。
そうすれば、何かを作ることの難しさや頑張りというのが身を持って分かる人が増えていって、結果として無碍なコメントをする人が減っていくのかもしれないなと思いました。
ふだんこういうことは(怖いので)書かないのですが、あまりにも共感したので、ドキドキしながら人様のブログに生まれて初めてコメントしました。
長文失礼しました。
ガチンコのコメントはどれだけ長くとも嬉しいです、ありがとうございます。
まず、情報の取捨選択という考えがあります。
1つはアウトプットした側が、有用な反応だけを拾い、不毛な反応はスルーするというものです。反応に反応で返した時、スルー力が足りない、ようなツッコミすら受けることになります。
しかしこれは誤りだと思っていて、真剣にアウトプットするほど、真剣に反応も拾うので、どうしても反応に対して考察してしまうため、やはり不快感が残る場合があります。
もう1つはインプット側の取捨選択です。昔は情報は自分から定期的に拾いに行くことが多かったですが、最近はSNSなどによる”バズ”からの流入が大半を締めていたりします。
自分から拾いにいって、文句を言うってのは確実に筋違いなわけですが、バズはインプット側からすると情報を押し付けられている側面があると考えます。押し付けられて見に行って”やった”結果、自分の想像と少しでもハズレた場合に怒りに変換され、罵るという行動に出るのだと思います。そこで自制が効く人は、冷静な指摘で済むか、何もせず退出するか、です。
公の場に公開する以上、バズを望まなくともバズ構造から逃れることはできません。自分の労力をほとんどナシに、簡単に情報を得て、簡単に反応を返せてしまう、ことで徐々にその品・品質が劣化しているのが現在であると考えます。
私も日本は潜在的に優秀な人材が多いだろう、と考えるクチですが、エンジニアを重要視しないだの、研究費を出さないだの不満が出る一方で、意味がない以下の監視・弾圧社会にもしてしまっているという、矛盾があります。
まずトライを大切にし、多少の失敗を許容し、ひたすら伸ばす方向に構え、失敗は改善すればよい、というような、相殺するのではなく時間の経過とともに右上に徐々に伸びていく構造になったらいいなと思います。
なので、アウトプットはトライした方がいいものの、現時点で安易な形式や品質でのアウトプットは控えるべきで、簡単な解決策はないので、私も模索していこうとしています。