育児過渡期から次世代へのバトンタッチ

ヨッピー氏の 育児の現場で父親が透明化する現象について を受けて、脳裏が熱くなって何かを書き残したくなっちゃいました。育児がんばったしね!!

育児の過去と現在の潮流があって、まさに次の世代ではどうなるかってところで、社会的な意識のアップデートのためにも、多くの意見や経験が共有されるとよいと思います。



父親の透明化の体感

議題となっていた透明化については、私自身はそれほど感じませんでした。


私は保育園は送り迎えを両方していたし、他の家も半分とまではいかなくとも、それに近いくらい父親が出現していましたので、父母の差を感じることはほぼありませんでした。地域柄もあるでしょうし、保育園が大きな組織で、方針がキッチリしていたのも大きかったかもしれません。

病院だと、乳児期くらいまではたまに「今日、お母さんは?」と聞かれるくらいで、「寝てます」「仕事です」で済む程度でした。でもこれって別に父母の差ってわけじゃなくて、母親は出産という大仕事を経過しているわけで、母親がその後どういう状況なのかをヤンワリ探ってくれてるのかなって。

そう捉えた部分もあったので、自信持って事実を回答してました。情報共有ができてれば、夫婦で病院に連れて行く必要も全くないし、むしろ抱っこするから時間が許すならどっちかっつーと父親の仕事じゃないかな。新生児~乳児期の母親はどー考えても、可能な限り体調を整える方向に全振りでしょっていう。


役割分担から公平性へ

昔は男は仕事、女はそれ以外だったのが、急激に公平性・バランスを取ろうとしだして、その過渡期に入ったのが現在ということです。

公平ということは、理想的には父母共に、仕事・家事・育児・教育 ができた方がいいわけです。しかし、出産前後は母親が特殊な状態になるので、そこは家族と社会で支えなくちゃねってケアはあってしかるべき、というのは言うまでもないです。

父親と母親の絶対的な差異は、妊娠・出産と授乳だけです。それ以外の全ては父親もできるので、そこに対する対応差が生じることに違和感を抱く、というのは、可能な限り公平に取り組もうとする意志の表れであって、良い傾向なんだと思います。

 ※ちなみに授乳は搾乳や冷凍すれば父親もあげれるけど、母乳を出すこと自体が体力を大きく奪われるようなので、やはり特有です。全部が粉ミルクでえぇやんってものでもないですし。男性のために真面目に例えると、なんていうか……その…下品なんですが… 射精と同等かそれ以上に疲労すると考えてよいと思います。原料が血液ですからね…

ただ、誰しも得手不得手があるわけだし、仕事や体調の諸事情、性格によるところで、(出産以外の部分の)全てを父母で5分5分に担当できるってことはありえないです。何をどう振り分けても、完全な公平は存在しないので、そこは夫婦でのバランスの取り方と歩み寄りで、他所様が口を出すところではありません。

あまり年代で分けた物言いは良くないかもですが、20~40代がまさに過渡期の真っ只中であり、それに比べると50代以上は考え方のアップデートがしづらい状況。そして10代以下は次世代となりますが、彼らの親世代である我々を見て育ち、どのようになっていくのでしょうか……


核家族の運営

昔は拡大家族で、孫が産まれても、その祖父母はまだ60~70代と元気で、家事・育児も余裕でできるので、良い部分も、そして悪い面もあったと思います。

現在では普通である核家族になると、祖父母が担っていた部分を夫婦で取り組んだり、外部に委託する必要が出てきたわけです。

では自身で取り組むには何が重要になるかというと、男女共に、一人暮らしを経験することが大きな要素になると考えています。自分自身一人を支えたことがないのに、いきなり核家族を運営するとなると、かなり多くの要素の経験値が足りないことになります。

金の管理から始まって、各種契約、食事や家事。これらの経験不足で夫婦になったら、経験者側や責任感の強い方に寄ったアンバランスな運営になりやすいはずで、そこにさらに誰にとっても新しい体験の出産と育児が加われば、考えただけでも恐ろしい。

実際、私は長く一人暮らしから家族運営をしましたが、今でも実家に帰るだけで数段、人としてのレベルが落ちることを実感します。実家で仕事や子どもの世話をしても、家事の大半をしないだけで、これは人としてなんかチガウ、イクナイ。って体感になります。

近くにやってくれる人がいたら悪意はなくとも任せてしまうのがThe人間で、いなければ自分がやるしかない。そういう責任感を経験した上で夫婦になれば、おそらく分担と尊重を適度にできるはずで……でなければ片方の負担が大きくなり、世の中に不平不満が撒き散らされると。

そういった体感や、そもそも一人暮らしは楽しいという経験から、我が子には常々「高校を卒業したら家を出るんだよ」と伝えています。

お金の問題で出れないとかなら仕方ないですが、実家を出ない、という選択がどれほどその後に必要な成長の機会を奪っているのか。ってのは、もっと全親が認識した方がいいと思っています。


次世代の意識

私自身は、世代的に親からそこまで多くの教育を受けていたとは言えません。時代的に接待やら残業で、家族との時間を取りづらかったことも理解しています。また、そのことを悔いている部分もあると後に聞きましたが、その中で可能な限り相手をしてくれたので、親に不満は一切ありませんでした。

そして現在は私が親なわけですが、息子は一人っ子であることや、実父の悔いも受けて、かなり多くの時間やお金をつぎ込んで育てられていると思っています。

その中で、私自身の時と最も大きな違いは『会話』だと感じています。会話の量が圧倒的に多く、普通は話さないような、家庭の維持に関わるお金のことや、子育ての考え方、生きていく上で重要な考え方、など様々な内容を伝えています。

そう裏表なく真摯に話していると、息子から自然と、
「じゃあ俺もそうやって息子を育てるよ」
「その話、息子にも伝えるよ」
と言ってくれることがあります(息子かはわからんで~と思いつつ)。

彼自身が家庭を持つことを、当然として考えているわけです。これは私が家庭を持ち、子を育てることを、おそらく苦労ではなく幸福である、と彼には見えているのだと捉え、育児の成功の証の1つとして受け取りました。

しかし私なんて子どもの頃どころか結婚するまで、そんな意識はほとんどなく驚かされた現象でもあります。さすがに子が産まれれば、生物としての優先順位的に気持ちも時間の使い方も切り替えましたが、10代から多少なりとも将来の家庭運営をイメージできているのは良いことでしょう。



家族・育児のあり方について、我々現役世代は突然とも言える時代の方向転換により過渡期に放り込まれましたが、その多くの考え方から良いと思われる部分を抜き出し、整理して実践していけば、それが次世代に伝わっていき、

次世代では、男だ女だ、父だから母だから、差別だなんだの、しょうもない無駄な軋轢を生むことなく、当然のように互いを尊重し合い、家庭を育む。そんな風潮を期待して──

なんか孫は見れそうなので、それまでは健康に生きていこうと思う次第です:-)