コロナ禍によって環境が変化して、約1年が経過しました。
特に何かあるわけじゃないですが、社会にとっては大きな、自身にとっては少々の転機になったので日記でも記しておきます。
在宅勤務
社の方針が、できるだけ出社しない~原則出社禁止などと変化しましたが、私は元々コミュニケーションを重視しない方なので、喜んで即在宅のみに切り替えました。結果、1年間で出社したのは健康診断1回の数十分のみ。
デメリットは太りやすくなるくらいで、でも病気には一切かからなくなったので、意識的に運動して健康管理してれば他はメリットしかない。
コロナ禍の『禍』は憂うべきものですが、『禍』を除いた変化は正直なところ自分にとって理想的な環境をもたらしました。完全に作業がススムくん。
会議
自分の周りはカメラなしで参加する方を好むので、存在としては完全に名前と技術力だけになった。前から知った顔と話すこともあれば、全く知らん人と話すこともあるので、どういう人物か把握するのに異なる角度の能力が必要になった気がする。とりあえず顔を知らん人とは、気持ち明るめに話すようにしてる。
俺は普段から内外に情報発信しているけど、これまではあまり意識しなかった内部への存在アピールというか、発信物で信用を得ていくようなところも重要だなと感じる。
つーか昔から対話よりテキストベースが得意だし、職種的に効率的で有効なので、社会的には有利な土俵になったのか。有利とかそーゆー話じゃねーってのはあるけど。
会社移転
会社が目黒から大崎に移転することが、地味に発表された。なので多分1回は、机の賞味期限切れまくってる飲食物とかガラクタを整理整頓しに行くだろう。新しい働き方に適応したオフィスになるんだろうけど、俺にとっては年1回の健康診断にいく場所に変わりないと思われる。
帰りのランチを探すのが楽しみだ。
家族
昔、エンジニアリングに潜りすぎて人との会話を拒絶気味になったとき、滑舌が悪くなり、これはヤバいと意識的に直した経験があります。それを思えば、家族がいることで絶対に会話はするので、もし独り身なら、またあの頃の症状に戻った可能性があるなと考えると、家族の存在はやはり大きい。
子どもにとっては、帰宅時に常に父親がいる方が嬉しいよう。ただそれも、従来の生活経験あってのもので、それはそれで自立を促せただろうから、最初から今の状況だったらってわけでもない、と思っている。
デジタル庁
発表当初は、そこそこマジで考えてたんだけど、今まで転職したいとか、憧れの企業とか、マジで一切なかったけど、デジタル庁で国民のためにってのはアリやなって思った。ただ、せっかくやるならガチンコの効率ファーストじゃないとだから、既得権との闘いとかが初動の仕事になりそうなのがアレやな
— 外道父/げどちー (@GedowFather) September 18, 2020
だいぶ想像とかけ離れた募集内容だったんで、興味が掻き消えた。
デジタル庁のクラウドエンジニア募集あったけど、この内容だと完全リモート勤務かつ、最低でもヒジの高さまで積まれないと興味すらわかないな https://t.co/6zUaBp2SOw
— 外道父/げどちー (@GedowFather) January 7, 2021
俺の得意分野はクラウドとかアプリケーションって区別のとこじゃなくて、レイヤーに関わらず新規の設計とか既存システムの改善が主力だと思ってるので、カテゴリ的には『新システム企画構想』だったのかな。今までが好き勝手やりすぎてよーわからんから、本気ならとにかく応募して話を聞けって感じではあったんだけど。
自分勝手な想像では、5年10年をかけて責任持って国のシステムを良くし続けていく。みたいな心臓を捧げるイメージだったので、短期の副業的な扱いだとさすがに違うかなっていう。それで何が達成できるかっていうとね。
実はフェイクで行けば要所・長期への道筋があるんじゃないかとか、外部発信する余地はあるのかとか、民間ではない主軸の人の技術力とか気になることはあったけど。
今思えば、民間のオールスター的な技術力を少しずつ借りるイメージだったのかもしれん。まぁ多分、相性と倍率で落ちたろうとはいえ、一瞬でも転職妄想したのは楽しかったかな。
次世代
自身がそうであったように、自分の子ども含む次世代がどういう職業に就いていくのかってのは前々から思うところでしたが、この1年で状況が一変して、さらに読めないところとなりました。今の若年層は、平均的に凄く優秀だと感じることが多いので、少しでもそれを発揮できる形でバトンタッチしたいと思うようになったとか、かんとか。
社会に対して自分が特に何をできるというわけではないけども、まずは自分の子どもをキッチリ自立させて送り出すってだけでも十分だろうし、みたいな感じで変化前よりも未来を憂う考えが強くなった気がする。
もし数年後に事態が収まったとしても、コロナ禍で得られた知見や変化が残り続けるとすると、次世代の社会がどうなっているか見届けるという楽しみができた。そのためにも、変化に柔軟に対応できて、キッチリした死に際である老後でありたい。
そんな感じ。