元々は最近、息子と行動を共にしていて感じたことを下書きしておいた話でしたが、
「強いエンジニアは結局休日に勉強してるじゃん」って思うけど – spice picks を見て、鉄を熱いうちに打つことにしました。
他人と比べることなかれ
基本的な考え方としては、これ。なんだけど、その趣味にエンジニアリングを含む場合、その人との時間格差は開く一方になるのは事実で、それはどうしょーもないので、自分なりのベスト、ベターを尽くせれば別に他人と比較しなくてよくねって思ふ
— 外道父 | Noko (@GedowFather) March 28, 2022
エンジニアとして大成したいとか、年収1500万円欲しいとか、そういう目標があるなら別だけど、野球や将棋みたいにプロって概念があるわけでもないし、自分や家族に十分な収入を得るところまでは頑張る必要はあっても、その先は人それぞれでしかない話だと思います。
成長性『A』
一方で、一般的に見ると伸び率が尋常じゃない、成長性『A』な人間もいるわけです。よっぽど運が悪くない限り、そのジャンルのトップクラスへ届くであろう人材です。上の例で言うならば、『強いエンジニア』は強いエンジニアになるために知識を得たりトライすることを『勉強』とは捉えないし、そもそも『強いエンジニア』になろうとすらしていないと思います。結果的に『強いエンジニア』に成っただけっていう。
これは音楽家だろうと絵描きだろうと変わらないんじゃないでしょうか。
基本的には目の前のナニカを理解するまで、できるようになるまで取り組むわけで、それに必要な情報を収集し考察し、トライする。の繰り返し。この流れに『勉強』という概念は存在しません。
苦痛になるとしたら、壁にぶち当たる時や、逆にやることがなくなる時くらいで、『勉強』自体が苦痛になる道にいないってことです。知れるのに知らないことがあるままのほうが苦痛である、という理屈です。
そもそも曜日や時間に関係なく取り組むこと自体に悩む時点で適性が少ないわけで、適性を短期間で強化することはおそらく難しいので、やはり各々に適した活動量と結果を探り認識するのがよさそうです。
持続力『A』
息子を漫画&温泉の施設に連れて行った時、昼飯を拒否ってまで7時間ぶっ続けで漫画を読み続け、腹減った頭痛いとギブアップしてきました。私自身、
- ゲーセンに泊まって格ゲーしたり
- フリー雀荘で徹マンしたり
- 古本屋で立ち読みしたり
- プログラミングで新サービスを作ったり
いずれも飯抜きで10時間以上を継続したことがあるので、息子の気持ちもよくわかり、放置してみたのですが、結果としては『コイツ、やるな』と思いました。(※)
※1 家ではルールがあるのでやりません
※2 お父さんはまだイケるでって言ったら戻ろうとしたので止めて飯食いました
目の前に自分のやりたいことや興味がある状況で、腹が減った、背や腰が疲れた、脳が焼け付き、精神も肉体も厳しくなってきた。
そういう時『強くなる人』は、興味が勝ちます。
飯を食う暇があるならなにかに打ち込み、
エネルギー不足で頭が痛くなっても打ち込み、
精神と肉体の限界を乗り越えた先の限界に到達してようやくやめる。
直接的な肉体的疲労を伴うスポーツ系は別として、主に脳と手先しか使わないような趣味や仕事は、空腹と頭痛の限界を超えて、気絶に近い睡眠まで稼働できる場合があり、それは必ず自発的に行われる強い?アホな?活動です。
──アホな活動ですが、常識的な活動には想像範囲内の能力しか身につかないわけで、いわゆる何者かになれるか、その他大勢で終わるかの、差となるシンプルに重要な要素であります。
強要すべきモノではないし、強要しても意味ないので、これを真の『適性』と言うんじゃないでしょうか。
健康第一
そういった一部の突出した活動ができる人間は、ジャンル問わず何かしらの才能を開花させられる可能性が高いです。もちろんそれをしない、できないから可能性が無い、というわけではありませんが、少なくともつぎ込んだ活動時間に大きく裏切られることはそうありません。その中で、さらに抜きん出た存在になるとしたら、恵まれた目標や目的を見つけたか、脳や戦況がよっぽど追い込まれた先にしかない景色を見たか、想像もできないような時間をつぎ込んだか知能が高いとかでしょう。
そこから先で面白いのが、多くの場合に重要な要素として『食事』『栄養補給』や『休息』『睡眠』を適度に取り入れるほうが、より効果的に活動できることに気づく、ということです。
高いレベルに到達して余裕が生まれたからか、さらに伸びる方法を模索してか、主に『糖分』を筆頭に取り入れていきます。
と、いうことは変に自らを追い込む時期がなくとも、科学的に計算されたスケジュールをこなすことでも十分伸びるかもなのですが、
気迫や執念、絶望や成果といった要素が人を大きく成長させる要素として多分にある、と考える昭和生まれで、実際にそういう経験も多くしたので、
自分もアホだった分、アホと馬が合ったり、アホを応援したくなっちゃうのはしょーがないですね:-)