ドリコムを退職しました……弟子が

世間の流れに沿って、一度、退職エントリを書いてみたかったんですけど、まだちょっと退職しそうにないんで、倒置法で我慢してみました。

本人には「退職エントリ書くね!」と去り際に伝えてありますが、センシティブなカテゴリですから、企業・個人事情に基づくものというよりは、身近な人間が退職したという出来事に対する感想的なものとなります。



ザッと振り返って

前に書いた、「新卒インフラエンジニアを育成した話」で地獄を見せようと試みて、いまいち業火で焼き尽くせず耐え切ったアノ弟子です。二年が経過し、中小規模のサービスを専任で4~5個担当するまで至っていたので、当人の努力と成果は十分であったのかと思います。

他にも、AWS関連や、インフラのアーキテクチャなどは、私と共に進めたり、時には率先して案を出したりもしてくれていたので、中盤からは弟子というよりは普通に共同作業者という立ち位置でした。例えば「現代ITインフラの王道をゆくLinuxパッケージ管理の基本構成」で、S3でやればよくね?と言い出したのは彼で、Lambdaスクリプトも彼の作品でした。

そういった改善案は、老害にはない尖った意見がしばしば見受けられ、私にとっても非常に刺激的でした。ただ、その案に対して周辺を整えて丸く収めるのは私の役目であり、というかそれを補ってあげなければワイの存在意義がなくなるってものです。

私としては、最初は高速道路への道案内をして、いってらっしゃいと見送った程度なのですが、周辺エンジニアの評価も高く、十分な信頼も得ていたので、当人の努力の結果なのだと思います。お疲れ様でした。


転職理由

デキるエンジニアってことが知られていると、本人の知り合い経由でちょこちょこ転職を持ちかけられるので、実はたびたび、こんな話がきたんですけど、どう思いますか?って相談というか雑談をしていました。私は転職したことがないので、自分だったら組織・業務・待遇などでこういう点を考慮したいから、こういう質問や探りを入れてみたらいいかもね、って感じです。

この段階で一切引き止めたりしなかったのは、単に、組織事情よりも個人の幸福を優先すべきという私的な考えがあり。そして、そもそも転職したい、してみたいという気持ちは、説得や少々の金銭で止まるものではないと思っているからです。管理職や人事からすると困った振る舞いかもしれませんが、私はただのいちエンジニアですし、流れを無理にせき止めてもお互い不幸になるってのは、大局的に見て間違っていない・・・と信じたいところ。

まぁデキる奴が2~3年も真面目に取り組んでいれば、地ならしは大体済んでしまうので、そこから斬新な機会を待ちつつ平凡な運用や改善をし続けるよりも、飛躍するために異なる現場に移動するというのは、特に若いうちはまったくもって正解だと思います。

そういった向上心が土台にあり、待遇面や興味が肉付けされれば、結局は現状に不平不満があるというよりは、『居続ける理由がない』という表現になる感じでした。


いつまで転職を続けるか

同様の理由が継続すると、次の職場でも、またその次でも数年おきに転職し続けることになってしまうわけですが、おそらく誰しもが、結婚や出産や老化を機に、動くことのデメリットが大きくなって、どこかに定着したくなるはずです。

50代でもフリーランスで頑張る人もいるので一概には言えないですが、いつかどこかに定着すると仮定した場合、実は最初の会社がベストだったという可能性はあるわけです。もし、そうだったとしても一度は外に出ないとその判断ができないままモヤモヤするわけで、今回は年齢やタイミングによって、ご縁がなかったというだけの話なのでしょう。

ただ、個人の幸福を優先すべきとはいっても、企業にとって有能な人材の退職は紛うことなきマイナスなわけです。かといって、簡単に転職できる地力がある人材”未満”を集めるというのは健全じゃないので、少しでもご縁が引っかかりやすくなるよう、福利厚生や資産形成、出戻りOKといった制度を最大限整えて業績を安定させておくことしかできない、というのが実情かもしれません。

我が社も2014年から出戻りOKになったので、それも含めて、彼が良い企業に収まることを願うばかりです。


在籍し続けるということ

転職は良いことばかりでないでしょうが、在籍し続けることも難しいものです。

おそらく残り続ける人は、納得いくお給金をもらえているという前提で、必要な技術や企業文化がしっくりきている人、単に動くメリットよりも動かないメリットの方が大きい人、退屈になったら自分で楽しいことを探す人、様々でしょう。

私などは、楽しくなくなったら普通に辞めると公言しているわりに、十数年も在籍しているのは、自分と企業の成長が適合していたという他なさそうです。20代はベンチャー気質でゴリゴリ目の前のことをこなし、30代はやるべきことは効率よく済ませて手を抜ける時は抜く、といった心持ちの変化があります。その上で、趣味の延長線上にあるような楽しみ方で仕事をこなしているのが秘訣なのかもしれません。

一般的に、業績が良化すれば人は増えますし、悪化すれば人は流出します。──するのですが、悪化した時にすぐ脱出するのが正な時もあれば、人が少なくなる中でこそ自身の存在価値を上げるチャンスもあります。我が社もベンチャーによくある暗黒期を経験していますが、私はその頃20代だったこともあり、「社長がなんとかするでしょ」って程度の気持ちで滞留していました。もしあれが、子供を持つ30代だったら、脱出を検討していたかもしれませんし、人生は運と決断のバランスゲームだなーと云々。

業績だけでなく、異動などによる業務内容や周辺環境の変化において、常に自分にとってベストな状況というのは稀なわけです。環境や業務や待遇など、様々な要素において、在籍し続ける価値を自ら見出し、モチベーションを保ち続けることは、60代のゴールという長い目で見た時に、多くの人にとっていつか必要になる最重要な要素の1つではないでしょうか。


居なくなって残るもの

優秀な人材が居なくなることは基本的にはマイナスなのですが、残る近しい人間にとっては、私はプラスに働くと考えています。理由は、引き継ぎです。どんな優秀な人間でも、残した成果が全て資料に落とし込まれているということは、まずありません。せいぜい5割も残っていれば御の字といったところでしょう。

ITインフラでいえば、「Infrastructure as Code」によってGitにコードが残されていれば、それで良しかというとそうではありません。担当サービスが何で、日常的な作業内容と手順、そして必要な情報のURLなど、最低限そういったモノが揃っていなければいけなく、それらはたいてい、属人的な記憶によって賄われています。

それらを丁寧に最初から引き出し、「Gitにコード」と「Wikiに手順」をしぼりカスになるまで抽出すると、誰がいなくなっても大丈夫な状況を作り出すことができます。そしてそれは、居なくならないと仕上がらないことが実情であり、翻して恩恵となります。

こういった資料は、何も丁寧に色をつけたり、管理画面のキャプチャに赤丸つけたり、をする必要は全くなく、『最低限必要な情報』を揃えることが肝要です。この、『最低限必要な情報』ってのが残る人間の力量にも関係してしまうため難しいところなのですが、コードと箇条書きだけで全てを整理することは、案外、深い経験がないとできないのかなと最近になって感じているところです。

私は過去に、社内のITインフラ全てを引き継いだことがありますが、私の知識量が急増したという意味で、その時は本当に居なくなってくれてよかったと思いましたし、今回も短時間で弟子の知識を詰め込むことに成功して、さらなる飛躍をした感触があります。

詰め込むときは、まぁぐったりするくらい疲れるわけですが、終わってみれば良いことしかないので、もしかしたら『なんでも引き継ぎマン』が最強への近道ではないかと邪推しております。一時的に業務が増えても、ITインフラというジャンルでは、最適化すれば微々たるものにできるのが良いところですね。


組織が若返るには

2年前、新卒をインフラ部に入れるという珍しい試みには、大きな目的がありました。インフラ部という組織を若返らせるというものです。30代のオッサンばかりで運営していると、いつしか40代のオッサンばかりになり……嗚呼、その続きは考えたくもありません。

今回の師弟関係は、弟子にとっては師匠の知識と経験を吸収し、師匠にとっては若さゆえの勢いや自分にはない角度の考え方を得られて、WinWinであったと感じています。ゆえに、直接的な平均年齢という意味だけではなく、技術的にも若さを取り込むことは非常に有益だということです。

結果的に、若者が去ってオッサンが残ってしまったわけですが、去るものは去るし、残るものは残るという部分は、ある意味どうしようもないところです。そのため、私が目に届く範囲という意味では、やはり、いつ・どこにでも去れるくらいの地力を身に付けさせるスタンスを貫き、あとは☆もうどうにでもなーれ☆なのかな、とも思うし──

──残ることのメリットをサブリミナル効果で伝えることも大切かなーとか思ったりもするのですが、それよりも自分が50代になった時の能力状態の方が心配なので、ドラキュラエンジニアとして日々精進する所存であります(錯乱)